11月25日暴処法裁判での織田委員長の冒頭意見陳述

冒頭意見

2010年11月25日

被告人 織田陽介

(0)改めて。検察の立証が完全に破綻した本裁判が、未だに継続され、我々が被告席に座らされていることを怒りをもって弾劾する。

◎118人の逮捕、33人の起訴。この数だけでも政治弾圧であることは疑いがない。起きているのは一般的な「犯罪」と「逮捕」ではなく、闘争と弾圧である。

検察側立証が、大量の証人の却下という形で大破綻に終わった。もはや「過激派」など我々の思想と闘争を持ち出して事件性をでっち上げることは無駄というものだ。検察側証人が、直接の目撃者ではなく、監視カメラの粗雑な映像を判断させることに目的があるという、裁判としても論外の立証であることは言うまでもない。しかし問題は、政治弾圧という性格に規定されて、検察側証人は「中立」な人物ではなく、弾圧主体たる公安警察と法大職員、弾圧に屈した玉聞という、つまり我々への憎悪をもって証人として登場していることであって、こうした連中の主観的な人定のみが検察の「立証」ならば、いますぐこの裁判は打ち切られなければならないのである。

◎前回の関東学院大学・宮本氏の証言によって、いかに検察側の主張がずさんであるかが改めてハッキリした。本裁判が政治弾圧である以上、法律の構成要件を満たしたことをもって罰しようという裁判では到底なく、弾圧をするためにいかなる法律とストーリーが必要なのかという観点で裁判が始まる。内乱罪や革命罪が、成立したときには罰する権力そのものが倒壊しているという事実関係からして、成立する前に革命を予防する法律として発動せざるを得ないことから見ても、それは明らかであって、検察側の破綻は法律学上不可避なのである。

◎しかし、我々はただ政治弾圧のみが目的である裁判を受けてたって闘っている以上、検察側立証がどんなに破綻をしても、もしくは、被告人を8カ月半獄に繋ぐという自らの過ちが、被告人による獄中闘争という言わば、怒りをもって耐え抜き、乗り越えるという、生身の人間の闘争による弾劾をうけている現実を前にしても、恥とも思わない法律学者諸君をただ説得するという立場には立たない。法廷の外、現実の闘争と一体で、この国家権力そのものの打倒を目的として本裁判を闘うことを改めて確認したい。

(1)暴処法裁判にたっている意義について1 戦争と革命の時代認識

◎朝鮮半島における戦争が勃発した。「北朝鮮が悪い」という、薄っぺらで歴史をすべて無視するような報道とは裏腹に、世界を一貫して戦争によって支配し、北朝鮮を経済制裁と軍事演習によって締め上げてきたアメリカ帝国主義を中心とする帝国主義の侵略戦争であることは言うまでもない。

◎その上で確認すべきは第一に、これは平板で平和な時代に北朝鮮という「おかしな国家」が、突如戦争を開始したと言うような問題ではなく、大恐慌の時代における世界戦争の危機の問題としてとらえ、学生や労働者がいかにこれに反撃を開始するかという主体的かつ実践的な問題として設定されなければならない、という点である。

戦後世界体制の基軸であるアメリカ帝国主義が、先頭になって崩壊を開始していることが現情勢の最大の特徴である。世界経済は巨額の財政投入を続けることをもってのみ、ギリギリ成立している状態だが、もはや財政投入は継続できない段階に入った。ひとつに、国家財政が持たないという点。二度にわたる7000億ドルを超える財政投入をしたオバマは、戦争経費とあいまって、すでに1兆4000億ドルを超える赤字を年間に叩き出すまでに至っている。だからこそ二つに、これ以上の財政投入はドル暴落にいきつくという問題になっている。これはますます通貨的な世界経済の統一の崩壊、つまりユーロや日本円、中国元などの台頭と世界経済の分裂化を促進する。みっつに、財政投入は大増税、公務員の解雇、社会保障の切り捨てを進め、革命の問題を引き寄せる。

さらに大失業問題がある。アメリカでは1000万人、ヨーロッパでは1600万人、日本では360万人、これだけで3000万の失業者を抱えている。大失業と戦争の問題が、政治危機へと転化し、オバマの中間選挙敗北が現出した。

こうした国内矛盾が国外へ、戦争へと転化されること、ここに「領土問題」なるものが突然各国政府によって一斉に開始された根拠がある。

◎付け加えるなら、こうした世界史的情勢のもとで、本暴処法裁判が闘われていることをはっきりと確認しておきたい。

(2)暴処法裁判を闘う意義2 反撃の路線的根拠地としての11・7労働者集会

◎第二に、そうした立場にたつなら、我々はファシスト田母神のような論法、つまり「攻めてきたらどうするのか」なる、「戦争ありき」であり「戦争は止められない」という立場、つまり「その前になぜ戦争が起こり、いかにすれば止められるのか」という理論的接近を一切排した非理論的立場の愛国運動を弾劾し、科学的理論と実践的闘争によって歴史を切り開かなければならないということである。

ただちに北朝鮮を仙石官房長官が弾劾し、菅首相は「米韓とともに行動する」ことを宣言し、沖縄辺野古新基地建設と、12月3日からの日米合同軍事演習へと突入しようとしている。こうした戦争への危機が、世界的な支配体制の危機、つまり世界的変革の好機としてあり、現に世界的な労働者・学生の怒りのマグマの爆発としてストライキやゼネストが開始されている以上、我々はこの戦争の危機に愛国主義をもって屈するのではなく、国際主義をかかげて対決する立場である。

◎ファシスト田母神が11・6に日の丸デモを、そして我々動労千葉派が11・7に労働者集会を開催した。世界戦争か世界革命か。愛国主義か国際主義か。こうした路線問題が、現実の運動潮流の激突によって表現され、全人民の末端に至るまでその政治選択=歴史選択が運動潮流の選択として問われる時代が始まった。5900人の結集で11月集会を実現したことは、こうした情勢を迎えるに耐えうる路線的内容を生み出す2010年の闘いなくしてはありえなかった。そういう意味では、現実を追認し、むしろ戦争の現実に人民を扇動するような田母神のどうしようもない立場ではなく、現実に真正面から立ち向かい、変革する理論的=実践的立場のみが、全人民の心を真に動かし、歴史を動かす力なのである。

(3)暴処法裁判を闘う意義3 学生の存在証明の闘い

◎だからこそ第三に、「どうすれば戦争を止められるのか」という問いは、「学生・労働者には戦争を止める力があるのか否か」という主体的問題設定にまで前進させられなければならない。

◎現在、法大当局は休み時間の情宣活動の弾圧にまで踏み出した。戦争を止めようとか、仲間の処分を撤回させようとか、当然かつ誇り高い学生の主体的活動にについて「大音量の騒音」などというふざけた罵倒をしたあげく、「授業準備妨害」なるどうしようもない批判をもって学生の存在を貶めようとしている。

右翼の街宣車が授業時間中にわめき散らしたのを止めもしなかった法大当局が、今や戦争反対の情宣を休み時間にすら認めない立場を表明したことは鮮明な立場表明である。そして、何より、3万法大生の最先頭で闘ってきた倉岡さんの停学処分が来年3月で切れるのを前に、「処分するために理由をつくる」でっち上げこそが目的であることを、怒りをもって弾劾しつくさなければならない。

◎明日、法大生を先頭に法大包囲デモが闘われる。これは、学生がいかなる存在かをめぐる存在証明の闘いだ。「お前の代わりはいくらでもいる」とばかりに就活で自信を奪われ、大学の金儲けの道具としてしか扱われない学生が、実は世界を語り、自らの行動によって歴史をつくる主体であることを、行動によって示さなければならない。

◎本裁判もそうした学生の、人間の存在証明の闘いの一環である。だからこそ、我々は絶対に屈することなく前進する。無罪を必ず勝ち取り、国家権力に対して革命というまっとうな裁きを下すまでともに闘う。

以上

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