日刊レーニン79号(9月1日)

    100 年前の本日、コルニーロフの反乱は労働者・兵士によって完全に粉砕された。コルニーロフ派の兵士が将校が敵であると知って、将校を信頼することを完全にやめ、軍隊が崩壊したのだ。31 日には、クルイモフ将軍は自殺し、こうして軍首脳部の総反乱は1発も撃たないうちに挫折してしまった。  30 日には、ほぼ大勢は決まっていた。何よりもソビエトが情勢を決定的に左右した。弾圧を跳ね返したボルシェビキがソビエトの主導権をにぎり、労働者を再武装し、兵士を獲得し、コルニーロフを粉砕する唯一の原動力になった。コルニーロフの反乱に対する勝利は、労働者・兵士に圧倒的な高揚と自分たちの力への確信をもたらした。「勇敢な行為や偉業、それにあんな勇気があるなら、全世界を相手に闘うこともできるだろう」と、無数の労働者・兵士が自分たちの英雄的な闘いについて語り合った。

31 日の昨日から、ペトログラート労兵ソビエト総会が行われていた。ボルシェビキが提出した「革命的プロレタリアートと農民の代表からなる政権」を要求する決議を賛成 279 、反対 115 、棄権 50 で採択した。社会協調派の幹部以外の代表が一丸となってのこの決議案を支持した。メンシェビキのツェレテーリが対抗して提出した決議案は、 15 票しか獲得できず、ソビエト幹部会は辞任を表明せざるをえなかった。

また今日、ケレンスキーを首班とする5人の「総裁政府」がつくられ、「ロシア共和国」が宣言された。ケレンスキーはボナパルティズム体制づくりのためにコルニーロフを呼び込み、コルニーロフに首相の位置を脅かされるや、今度はソビエト―ボルシェビキに頼ってコルニーロフの反乱を粉砕せざるをなくなった。総裁政府の誕生とは裏腹に、ケレンスキーの反革命性と無力性、没落はますます明らかとなった。

9月、 10 月革命への序曲がはじまった。

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