100 年前の本日のレーニン。レーニンは『陰謀のうさわ』を書く。レーニンは『ノーヴァヤ・ジーズニ』第 103 号(8月 17 日付)を見て驚く。内容は要約はこうだ。ある軍人のグループが、モスクワの若干の社会層の共鳴のもとに断固たる反革命的行動を組織しているといううわさが8月 14 日に広まったとして、中央執行委員会(すなわちメンシェビキとエス・エル)の代表の参加のもとに都市の保安の必要を知らせる方策をとったらしい。この準備工作には、多くの部隊内で影響を持っているモスクワのボルシェビキの代表たちもひきいれられた。ボルシェビキにとっては、この機会に部隊に公然と近づく道がひらかれた。とあった。 レーニンは、ボルシェビキが「反革命防止」のためにメンシェビキとエスエルとブロック、同盟、協定があったと考えた。レーニンは「うわさ」はたわごとであり、むしろメンシェビキ、エスエルが「革命を擁護しようとしている」かのように描き出し、革命を裏切り、反革命分子と同盟している事実をもみ消し、忘れさせようとのぞんでいる攻撃だと思った。そうであればこのブロック、同盟、協定は明らかに8月初旬におこなったロシア社会民主労働党第6回大会の決議違反だ。「メンシェビキは、最後的にプロレタリアートの敵の陣営に移ってしまった」と決議している。レーニンは信じられなかった。現情勢下では、方針は平和時の方針=「すべての権力をソビエトへ」ではなく「臨時政府打倒の権力奪取」だ。レーニンは『陰謀のうわさ』で、 12 日のモスクワストライキでの労働者・兵士の圧倒的な高揚、労働者・兵士のボルシェビキへの支持が勝ち取られている事を書きながら、このブロックの根底的な批判をする。
しかし、次の添付をつけて。この共同の機関の詳細な事実の調査。
レーニンはモスクワでの情勢は的確につかみながらも、秘密革命委員会(のちに、軍事革命委員会)の重要性を把握できなかった。
またこの日、ペトログラートでは、ペトログラート・ソビエト常任委員会が死刑廃止の要求を賛成 850 、反対4(チヘイゼ、ツェレテーリ、ダン、リーベル)の圧倒的多数で決議し、臨時政府?コルニーロフ派に反撃した。