「自衛戦争」肯定論を粉砕して、国際連帯で戦争阻止を
「中国や北朝鮮がミサイルを向けているのに、どうやって戦争を阻止するのか」――学生と論議すると、たびたびこのような質問を受ける。これに対する我々の答えは、唯一つ――労働者階級の国際連帯だ。どこの国の労働者階級も、決して他国の人民を殺すことを良くは思わない――まさに我々が中国や北朝鮮の人民に敵意を持たないように。
労働者階級の国際連帯こそが戦争を止める鍵だ。 実際、第一次世界大戦は労働者・兵士の国際連帯によって戦争終結へと至った。ロシアで革命が起き、それがドイツへ波及してドイツの水兵が叛乱を起こし、支配者は抗命する兵士を制御できず継戦能力を失った。しかし、許しがたいことに「自衛戦争」ならば戦争は許されると主張する潮流が存在する。その象徴が日本共産党スターリン主義だ。
そもそも「自衛戦争」なるものは、労働者民衆をだまして戦争に動員する常套句だ。古今東西いかなる戦争も「自衛」の名で正当化された。一体全体、「侵略戦争」は第一次世界大戦終結以来禁止されているのに、どこの政府が「自分たちは侵略戦争をやっています」などと主張するだろうか。「自衛戦争」として行われる戦争の真の目的は、資本家が支配する政府が市場・資源・勢力圏を他国から強奪することだ。レーニンは第一次世界大戦を「100人の奴隷をもつ奴隷所有者が、200人の奴隷をもつ奴隷所有者に対し、『より正しい』奴隷の分けなおしのために戦争をやっている」(「社会主義と戦争」)と指摘し、労働者を抑圧する政府と戦争をやる政府は同一であり、資本家こそ共通の敵だと訴えた。 そして、「自衛戦争」論に屈して戦争にくみした自称「社会主義者」(社会排外主義者)を弾劾して、1917年ロシア革命を勝利させた。
戦争で利益を得るのは「1%」の大資本家であり、「99%」の労働者民衆は戦争に駆り出されて殺し合わされる。帝国主義戦争への絶対反対を貫き、自国政府打倒=革命で応えるのが労働者の立場だ。 それにもかかわらず日本共産党は、自党が非自民の「国民連合政府」に入った際の「自衛隊活用」論を唱えている。共産党委員長・志位和夫は「自衛隊の有事活用」を力説し、共産党参画の政権で「急迫・不正の主権侵害など必要に迫られた場合には、自衛隊法に基づいて自衛隊を活用する」「有事の際には政府として安保条約に基づいて米軍に出動要請する」とした。共産党は政府の一員として武力行使するのだ。 帝国主義国家の戦争はすべて不正義の侵略戦争だという真理をねじ曲げ、「国民一体」の正しい戦争があるかのように描いている。共産党は戦争反対ではなく戦争賛成、改憲反対ではなく憲法破壊の党だ。
1946年の帝国議会での新憲法案審議で、共産党代議士の野坂参三が「自衛権を放棄して民族の独立を危うくする」と9条に反対したのを、首相・吉田茂が「かくのごときを認めることは有害である。近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実である。正当防衛権を認めることが、戦争を誘発するゆえんである」と答弁したのは有名なエピソードだが、共産党は一貫して「自衛戦争」に全面賛成している。
いま必要なのは「自衛戦争なら認める」という立場ではない。戦争の本質をしっかりと見据え、「自衛戦争」の名の下に行われるあらゆる帝国主義戦争に反対することだ。そして、戦争を止める力は、実際に総力戦を支える労働者階級が国境を超えて連帯する中にこそある。
日本の労働者階級は安倍政権―日本帝国主義を、アメリカの労働者階級はトランプ政権―米帝国主義を、中国の労働者階級は習近平政権―中共スターリン主義独裁体制を、北朝鮮の労働者階級は金正恩独裁体制を打倒する中にこそ、戦争を止める可能性がある。アメリカや中国などの労働者階級と連帯し、自国の帝国主義政府・独裁政府を打倒することが、各国の労働者階級の使命だ。
いかに改憲と闘うか
安倍政権が進める改憲攻撃とは、日本帝国主義の行き詰まりの中で支配者の危機感の裏返しとして現れたものだ。対外的には、帝国主義国・大国間争闘戦が激化する中で、日米安保体制の矛盾が増大し、米国や中国との「グローバル競争」を強いられ、戦争遂行能力に欠け核武装をしていないがゆえに外交から弾き飛ばされるという状況の中で、独自の軍事大国化、さらには大学をも経済戦争に動員するために行われる。対内的には、その経済・軍事の戦争を遂行するために、労働組合のような「抵抗勢力」を解体し、「大学改革」で大学の政府支配を貫徹し、天皇制やオリンピックを使い愛国主義=排外主義で社会を覆い、そうして共謀罪などで労働者階級の抵抗を暴力・イデオロギーの両面で圧殺するためのものだ。
それは、安倍が「戦後レジーム」と称する戦後的あり方を一掃するものだ。改憲阻止闘争は本質的には「改憲か護憲か」を問うものではない。資本主義の危機は末期的だ。国内市場の開拓
(「民営化」などの新自由主義政策)による延命も破綻し、もはや戦争によって過剰資本・過剰生産力の投下地を暴力的に確保する以外に手段がなくなった。そして、労働者階級も新自由主義
の下で極限まで競争を強いられている。資本家階級も労働者階級も、もはや「このままではやっていけない」という限界点に達しつつある。日本帝国主義は、クーデター的に改憲をやって戦争
に突入しなければ資本主義を維持できないと感じ、さらには戦争で労働者階級の抵抗・革命を圧殺しようとしている。労働者人民は戦後革命の敗北をのりこえ、日本帝国主義を打倒する中にし
か活路はない。改憲阻止闘争は、改憲を許して資本家階級が制圧する戦争国家成立を許すのか、それとも労働者階級が権力を取るかしかない。まさに、戦争か革命かが問われている。
新自由主義大学粉砕=改憲阻止の闘い
大学をめぐる階級決戦は最終盤にある。改憲攻撃を許して、大企業・政府とその意向を受けた「当局」が支配する大学とし金儲け・帝国主義のための学問をするのか。それとも、資本主義を打倒し学生―労働者階級が社会・大学を支配して真理を探求する大学にするのかが問われている。改憲攻撃を打ち砕き、新自由主義大学粉砕の闘いの火柱を上げよう。その核心は、京大闘争の地平を東大―全国大学に波及させることだ。階級性を持った学生自治会を建設しよう。学生の実力行動に依拠して権力と衝突する原則性と、学生が自己解放的に運動に参加できる大衆性とを持った学生運動を作り出そう。