改憲攻撃=戦争国家化の背景にあるのは、帝国主義国・大国間の争闘戦――「グローバル競争」――の激化だ。日本―世界が、世界戦争か世界革命かが問われる時代に突入したからこそ、改憲攻撃が進行している。

 戦後の日本帝国主義は、戦後革命の中で「憲法9条」という”軛”を強制された。経済力とは軍事力で裏付けられるものであり、「戦力不保持」を定める憲法は、海外に過剰資本・過剰生産力の消費先を求めなければならない帝国主義として、まさに致命的だ。

だが、戦争責任追及を求める戦後革命のうねりは高く、日本帝国主義が延命するためには「戦力不保持」を憲法に盛り込む以外の選択肢はあり得なかった。戦後憲法に対し日本帝国主義は、日米安保体制を作り上げることによって帝国主義としての復活を遂げた。すなわち、憲法9条を骨抜きにして独自の再武装を進めるとともに、日米安保体制を基軸にして、経済力を裏付けるための軍事力を確保したのである。そうして確保された軍事力によって、日本の本土は見せかけの「平和」を維持し、そして韓国・中国・東南アジア諸国へ経済的に進出、これらの地域を日本帝国主義の市場として確保した。

しかし、日米安保体制とは、<軍事的には依存するが、経済的には対立する>という矛盾と表裏一体の脆弱なものであり、その矛盾を1972年まで米施政権下にあった沖縄に集中させることでかろうじて成立するものに過ぎない。
1974?75年恐慌や1989年の冷戦終結、1991年のソ連崩壊によって、戦後世界体制は大きく変化した。一言で言って、超大国アメリカの没落(それはドル・ショックなどの形でまず現れた)と東側陣営の消滅により、盟主と敵を失った西側諸国の協調は崩れ、まさに第一次世界大戦・第二次世界大戦を引き起こしたような帝国主義国・大国間の争闘戦が開始された。

 そして、その世界的大不況の中で、日本帝国主義は死活をかけて対米・対中の「経済戦争」に臨むことを迫られている。米国は長らく基軸帝国主義の地位に君臨し、「世界の警察官」なる自称に代表されるように、戦後世界体制を構築する旗振り役を担ってきた。しかし、中国の追い上げ(米中GDPの逆転は10年以内とIMFは予測)の前に、もはや戦後世界体制の主軸となる余裕を失い、「米国第一主義」政策を取って自らが築き上げてきた自由貿易体制を自ら破壊せざるを得ないほど追い詰められている。

米帝国主義の最大の標的は中国だ。しかし、米帝国主義は同時に、日本帝国主義に対しても、この間の鉄鋼・アルミ関税引き上げや自動車・同部品への関税措置検討に代表されるように敵対している。表面上はどんなに友好を装っても、米帝国主義にとって日本帝国主義は絶対に抑えつけなければならない相手だ。他方、中国も一帯一路政策を象徴にアジアへの進出を加速させており、これまで日本帝国主義が排他的に確保してきたアジア市場を分捕ろうとしている。世界のパワーバランスが大きく変化している。

この状況での日本帝国主義の延命策は、もはや戦後の日米安保体制に依存するあり方だけでは不十分であり、米帝国主義に依存せず、米国にも中国にも対抗可能な独自の軍事大国化以外にありえないのだ。特に安倍は、この間の朝鮮半島情勢でそれを痛感したことだろう。安倍政権は、朝鮮半島をめぐる事態の急変の中で完全に蚊帳の外に置かれ、帝国主義・大国間の利害がむき出しになる状況では、戦争遂行能力が不十分で核を持たない国家がいかに無力かを突きつけられた。今、日米間の利害対立が深まる中、日帝が自らの利害を真に貫くためには軍事大国化し、敵基地攻撃能力を保有し、核武装する以外になくなった。日米安保だけでは情勢に対応できなくなっている。9条改憲はその絶望的あがきだ。

 しかも、日本国内では新自由主義政策によって膨大な数の低賃金・非正規職の労働者や未来に絶望するしかない青年・学生が生み出され、怒りの声が高まっている。この怒りに火が付き革命という形で爆発することを防ぐには、社会保障(アメ)で懐柔するか、徹底的に反抗を抑圧する(ムチ)か、あるいは徹底的にイデオロギー的に愛国主義=排外主義を煽るしかない――しかし、もはや日本帝国主義に社会保障で労働者階級を懐柔するだけの余裕はなくなっている。

 それゆえ、「改憲」とは帝国主義国・大国間争闘戦の中で日本帝国主義が生き延びるために、また同時に日本国内での労働者階級の叛乱を抑圧するために必要不可欠な、戦争国家体制構築のためのものだ。改憲によって、帝国主義のための、労働者階級が完全に抑圧された戦争国家とすることを許すのか。それとも、労働者階級が権力を取って全体主義の戦争国家を阻止するのか。
改憲が国家と革命の問題である所以は、ここにある。