斎藤いくま全学連委員長による10/2公安警察国賠訴訟での意見陳述

私は全学連の委員長を務めており、本裁判において、公安警察によって襲撃を受けた全学連大会の責任者であり、原告側の責任者でもあります。

私のほうから改めて強く訴えます。被告である東京都・公安警察は私たちが公安警察・司法権力に敵対的であるとしていますが、それ以前に公安警察の側こそ私たちに敵意を持って弾圧に臨み、違法な公権力の行使に手を染めたことをただちに認めるべきです。

そもそも、私たちの主張に対してかなり具体的な反論をしておきながら、その反論の根拠となった映像データは出さないとは、いったいどういうことでしょうか。公平・公正を旨とする裁判において、自らの主張の根拠を説明しなくてよい、と被告は主張しているわけです。このような反論の仕方が裁判で認められうると考えている東京都・公安警察の態度こそ裁判所・現行の法制度に対する重大な侮辱です。なぜなら、被告は現行制度に対して堂々と正面から抗議の意志を示し、変更を求めるわけでもなく、裁判そのものの腐敗・堕落を求めることによって自らの主張を通そうとしているからです。権力者の言うことは根拠などなくても認められるべきだという姿勢を裁判所にも求めているからです。 原告である私たち以上に、裁判所こそこのような被告の態度を許すべきではありません。

実際、被告の主張はまったく誠実ではありません。被告は反論では「職務質問の一環であり適法」だと主張しています。そうであるならば、今年の全学連大会でも同様の行動をとるつもりだろうと私は考え、参加者に相応の構えをしてもらうよう呼びかけました。しかし、今年の全学連大会では公安警察はビデオ撮影すらしませんでした。東京都・公安警察は昨年の全学連大会における自らの行動を裁判では適法だと主張しながら、実はうしろめたく思っているわけです。本当にふざけた態度です。

思えば、このような被告の態度はこの国に溢れかえっています。たとえば、日本で生きているとよく聞く常識、「左派的な政治活動をすると就職に不利になる」とか「組合活動をすると解雇される」。これはまぎれもなく思想・信条の自由や団結権など憲法上の権利に対する違反です。しかしこの憲法違反がこの国の常識なわけです。ふだん「法の統治」「民主主義」が日本にあることを他国を批判する理由にしている連中ほどこういう違法を黙認します。社会制度のより大きな正義の実現へ努力するのではなく、制度の腐敗を求める態度はこの国に広がる深刻な病のひとつでしょう。そして、この病を広げる勢力のなかに東京都・警視庁公安部がいることが改めてこの裁判で証明されました。若者の政 治不信や無気力を嘆く前に、汚い大人が信用されると思っている自らの愚かさに気づいて欲しいところです。

私は、今回の解散・総選挙において全学連を代表して東京8区・杉並区より立候補します。今のこの社会のあり方が「民主主義」だというならば、それが朝鮮戦争・核戦争をはじめる理由だというならば、そんな「民主主義」は滅ぶべきです。腐ったミカンは捨てるべきであって、守る義務などありません。この国に必要なのは革命です。

法律・制度・・・過去から受け継がれたあらゆるものを活かしているのは今を生きる人間です。裁判所は客観的にみればただのコンクリートの塊です。それを裁判所にしているのはここで働く人々の努力です。政治家がいかに偉そうに政治の力を語ろうと、社会を動かしてきたのは連綿と今も続く人々の労働です。にもかかわらず、その労働があまりにも低く扱われている。この国を動かしてきた主人公たちが、今こそこの国をつくりかえるべきだ。私は、自らの一歩、この選挙を通して「新しい労働者の政党」をつくろうと思います。

戦争のための「民主主義」、過労死と低賃金を多くの労働者に強制する「民主主義」、屈服と腐敗によって成り立つ今の秩序を守ることを仕事とする公安警察や利権集団が私たちを敵視するのは当然でしょうが、さしあたってここは法廷です。裁判長が利権集団に属しているのか私は知りませんが、違法な公権力の行使に対し、裁判所として公平・公正な法の裁きを下すことを求めます。

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