日刊レーニン80号(9月4日)

    100 年前の本日。ペトログラートのソビエトと労働組合は保釈金を集めてトロツキーを釈放させた。ケレンスキーは追い詰めれトロツキーを釈放せざるを得なかった。軍事法廷検事シャブロフスキーの調査委員会はケレンスキーがコルニーロフの反乱に関わっていた事を示していた。コルニーロフとの戦いにおいてもソビエトとボルシェビキに助けられたケレンスキーは、トロツキーをはじめとしたボルシェビキを投獄し続けるには無理があった。

しかし同時に、ケレンスキーは「対反革命闘争委員会が政府権力にきわめて重大な援助を与えた」ことを認めつつ、同委員会の活動停止を命令した。ケレンスキーはボルシェビキの指導部が保釈されて、同委員会の活動を通じて武装蜂起が準備されるのを恐れたのだ。

しかし、対反革命闘争委員会ーーそれは社会協調派が多数を占めていたがーーは下からの強い圧力をうけ、ケレンスキーの命令に従わないことを決定し、全支部に滑動の継続を命じた。ケレンスキーはこれを黙認する以外なかった。

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