日刊レーニン76号(8月27日)

100 年前の本日、朝、 ケレンスキーはコルニーロフに「ルコムスキー将軍にポストを渡し、直ちにペトログラートに来るように」と電報を打った。さらに、大本営と将軍らに「ペトログラートとその郊外へ進撃する部隊は前進をやめ、元の駐屯地に引き返せ」と命令した。    コルニーロフもルコムスキーも命令を拒止した。コルニーロフは「ロシア人へのアピール」で、「いまや私は公然たる行動に出ざるを得なくなった。臨時政府はソビエトのボルシェビキ多数派の圧力のもとにドイツ参謀本部の計画と完全に一致して…軍隊を殺戮し、国を内部から動揺させつつある」と、ソビエトと政府の打倒を公然と宣言した。そして、首都に向かっている部隊に進撃を続けるように命じ、必要なら「臨時政府軍と交戦せよ」と命令した。

コルニーロフは参謀本部と前線の指揮官、圧倒的多数の将校、最良の下士官の信頼を得ていた。現に、前線の各方面軍総司令官はすべてこの反乱に参加した。連合国の支持も得ていた。コルニーロフの反乱は圧倒的に有利に見えた。

ケレンスキーは、コルニーロフ派の軍隊に対抗できる軍事力を掌握していなかった。ケレンスキーはソビエトに頼るほかなかった。コルニーロフと対決するためにソビエトに臨時政府の「無条件支持」を居丈高に要請した。

   コルニーロフと対決するために、夜遅く、労兵ソビエトと農民ソビエトの両執行委員会合同会議が極度に緊張した中で開かれた。

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