日刊レーニン75号(8月26日)

100 年前の本日。大本営はコルニーロフを首相に、フィロネンコ軍最高コミサールを外相に予定した。リヴォーフは夕方、ケレンスキーにコルニーロフの要求を伝え、権力の移譲を進言した。ケレンスキーはコルニーロフとの協定が不可能であることを悟り、彼との対決を決意した。ケレンスキーはリヴォーフをその場で逮捕し、「私はやつらに革命を引き渡しはしないぞ」と財務大臣のネクラーソンに叫んだ。いまや互いにヘゲモニーを握ろうとすれば相手を倒す以外にないところに達した。 夜、カデット4閣僚がコルニーロフに同調して辞任した。閣議はケレンスキーに全権を委任した。ケレンスキーはただちにコルニーロフを更迭することを決定した。さらにケレンスキー自身は政府に対して、「全権力が完全に自分個人に与えられるという条件でしか」コルニーロフの反乱と闘えないと考えると宣言した。

一方、ボルシェビキの党中央委員会は労働者・兵士にこう繰り返した。「いかがわしい連中が…わが党の名をかたって挑発的なアジテーションをおこなっている」。ペトログラート・ソビエトや労働組合や工場委員会の指導機関は同じその日、いかなる労働者組織も、いかなる政党もいかなるデモも呼びかけていない、と声明した。それにもかかわらず政府の転覆が迫っているという噂が片時も静まらなかった。コルニーロフ派はボルシェビキのふりをして決起を誘い、それを口実にした革命派の弾圧、一掃をしようという陰謀を計画していた。

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