日刊レーニン68号(8月3日)

    100 年前の本日。レーニンは第 6 回大会により、憲法制定議会候補者に選出された。7月の反動から7月末までにはペトログラートの各工場でボルシェビキの影響は回復されていた。ヴォロダロスキーは7月 27 日には、「工場では我々は絶大な、無限の影響力を持っている」とボルシェビキの第6回大会で報告した。その時、青年同盟は5万のメンバーを数え、次第にボルシェビキの影響に入りつつあった。 また、クロンシュタットも傷を癒やしつつあった。艦隊全体でも変化は起こっていた。激しい左翼化とボルシェビキへの共鳴が見て取れた。7月末のゲルシンクフォールス代表の意見は興味深い。「小型の艦船ではエスエルの影響は大きいが、大型の軍艦、巡洋艦、戦艦では、水兵はみなボルシェビキかそのシンパである」。ペトログラート、モスクワでは次第に労働者、兵士のパニック、麻痺状態が消え始めた。

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