日刊レーニン67号(7月26日)

100 年前の本日。第 6 回ボルシェビキ党大会が半ば非合法的に開催され、メジライオンツィ(トロツキー派)と合同した。レーニンは「スローガンについて」というパンフレットを書いて大会を指導した。レーニンは、権力はブルジョア反革命の手中に移り、現在のソビエトは裏切りを犯し、破産し崩壊したと判断した。「全権力をソビエトへ」という「革命の平和的発展スローガン」を引っ込め、「反革命派に対する決定的闘争〔武装蜂起〕」によって「革命的プロレタリアートが国家権力を独自にその手に握らなければならない」「この新しい革命の中で、ソビエトは出現できるし、またかならず出現するであろうが、それはいまのソビエトではなくて、ブルジョアジーとの協調の機関ではなくて、ブルジョアジーとの革命的闘争の機関である」と提起した。こうして大会は武装蜂起を直接の課題とする戦略への転換を決定した。 ボルシェビキ(当時 24 万人)は、メジライオンツィ(当時4千人)との合同によって、十月革命とソビエト政権の中で活躍する多くの有能な革命家を獲得する。

また、兵営や工場ではボルシェビキ狩りの反動によって、かえって兵士と労働者は左に傾いた。党の加盟者は著しく増え、社会革命党が左右に大きく割れ、左派の方がボルシェビキに次第に近づいた。

これにより、ボルシェビキは農民の獲得にも手が届きつつあった。 

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