全学連大会のお知らせ

2017年全学連大会を8/30-8/31にかけて行います。
以下招請状

 全学連大会への参加を呼びかけます
 2017年7月20日 全学連中央執行委員会(委員長・斎藤郁真)
 いま大学はますます「就職予備校」「人材工場」への道を進み、学問の本義を省みず、多くの学生から未来 を奪う場となっています。「森友・加計学園問題」は、このような教育政策が生み出した腐敗の象徴です。こ の現実に立ち向かうために、学生は団結した組織的力を持とう。

 学生が団結できない状況下で、大学が抱える多くの問題は深刻さを増しています。たとえば奨学金と学 費高騰。労働条件悪化で貧困が拡大する中、学生の貧困も拡大しています。学費はこの40年ほどで私立で 3倍、国立で30倍近くにはね上がり、多くの学生が奨学金に頼らざるをえません。無利子奨学金のほとん どの条件は「成績優秀であること」。貧困な学生ほどバイトに励み、様々な節約に時間を割き、「成績優秀」 の条件は高い壁です。奨学金制度すら教育機会に格差をつくっています。学生が団結しなければ、奨学金 をめぐる不毛な競争や、そもそも学費が高騰していく流れに抵抗することは困難です。 たとえば就活とスキル競争。学生は資格学校や単位、GPAに時間・余裕を奪われる。「100人に1人の資 格」は市場価値が高く、誰もが持っている資格の市場価値は低いので、すべての学生が「スキル」を求めた結 果、すべての学生が自分を安売りすることになる。賞賛されるべき努力が自分と仲間の価値を低め、安売 りされた労働力を使いつぶすブラック企業を生み、誰も幸せにならない。学生を団結できなくすることで、 この不毛なサイクルは強化されます。 これで「未来に希望を持て」というのはムチャです。闘うためには団結が必要です。

 1980年代から始まり、2000年以降本格化した「大学改革」の実態は、「大学の企業化(私物化)」でした。そ れは大学の現場で、学生・教職員から団結するための権利と機会を奪いました。教育が企業のようにカネ・ コネで動かされる中、戦後初めて大学で軍事研究が公然と始まりました。 全学連はこの流れに抗し、全国大学で闘ってきました。2006年以降、法政大学によって100人をこえる逮 捕者、13人もの停学・退学処分者を出されながらも闘いを続けています。京都大学の仲間たちは2015年10月、 「戦争反対・軍事研究協力拒否」を訴えて大学ストライキを敢行。京大はストを主催した4学生に「無期停学」 処分を下しましたが、新たな世代が自治会執行部に選出されています。沖縄大学では日本最悪の貧困と「基 地・戦争の島」という現実に立ち向かって学生自治会が奮闘しています。広島大学や東北大学、富山大学で も挑戦を続けています。 現場から私たちを取り巻く常識を変える--この運動をもっと強く広くしていきたい。そのために全国 から学生が集まって討論・交流する場が全学連大会です。

 状況は変わりつつあります。さる東京都議選では、カネまみれの腐敗と強権政治への怒りが爆発し、自 民党は惨敗しました。安倍政権は焦り、スケジュールを早めて2018年中の改憲を狙っています。政治を奪 われた大学と対決し、キャンパスから行動を始めよう。古くて新しい「団結」という常識を、大会の場から つくり出そう。ともに闘い、社会を変え、ともに生きよう!

日刊レーニン65号(7月18日)

    100 年前の本日。 18日、ケレンスキーはコルニーロフを軍最高司令部に任命した。陸軍省総務長官にエスエル右派のサーヴィンコフ、軍最高コミサールにエスエル右派のフィロネンコを任命。この2人はケレンスキーとコルニーロフの橋渡しの役割をする。         他方17日、カデットは条件つきで連立政権崩壊後、初の入閣を決めた。7月8日には、メンシェビキ、エスエルなどの社会協調派は彼らの政治綱領として「政府宣言」を発表していたが、カデットはその内容は受け容れられないと拒否し、①閣僚は自分自身の良心にのみ責任を負う②憲法制定会議までどんな社会改革も行わない③連合国との完全な同盟の原則を守る④兵士委員会による戦略戦術への介入禁止。軍内の規律の回復を要求。カデットは2月革命、ソビエトが勝ちった地平を全く否定し、ソビエトから自由に振る舞おうとした。

日刊レーニン64号(7月12日)

  100年前の本日のレーニン。レーニンはラズリフ駅の小村に身を潜めた。レーニンは、ジノーヴィエフを伴って9日の夜に郊外の小さい駅からペトログラートを脱出していたのだ。

    ペトログラートでは、10日、ケレンスキーがコルニーロフ将軍に軍隊の指揮を要請し、7月3、4日のデモに参加した緒連隊の解体を命じた。本日には、前線での革命的活動は死刑を含む厳罰の対象とされた。首都守備軍は10万人に削減され、機関銃兵第1連隊などが前線に送られた。

日刊レーニン63号(7月9日)

    100 年前の本日のレーニン。レーニンは死を覚悟した。カーメネフに理論的な遺書として『マルクス主義国家論』の原稿(後の『国家と革命』の基礎となるもの)を託し、自分が殺された場合に発行するように指示した。    街頭では、党の印刷所を襲撃した将校や士官学校生が、ボルシェビキのスパイ活動という非難に抗議するすべての人々を叩きのめして逮捕していた。今日は、カーメネフも兵士に捕まりリンチされそうになった。レーニンは、5 ~ 8日の間に「レーニン=ドイツのスパイ」とするデッチあげに対していくつかの反論を書いた。最終的には「迫害と拘禁が目的である以上、裁判には出廷しない」とソビエト執行委員会が設けた調査委員会には出廷しないことを宣言した。ボルシェビキ中央委員会はレーニンを地下に潜行させることを決定した。